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***Honeyholic***

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月の砂漠

ここでは気密性の高い装甲服のヘルメットごしではなく自然の大気を吸うことができるだけマシだと思った。
ただ、昼夜のこの寒暖差はどうにもいただけなかった。

手首の時計に目をやる。
時刻は23:56、気温は摂氏3度、風速0.3メートル未満。直に日を跨ぐ。
湿度が極端に低いせいでそれほど寒さは感じないがそれは防寒ジャケットの恩恵でもあろう。
見上げた空は濃紺から漆黒へのグラデーションを描いていた。点々と浮かぶ星々の瞬きに見える光ははたして一体どれだけのものが本当の星なのだろうか。成層圏のはるか彼方、今日もまた戦闘は続いている。
「おい、いい加減寒いぞ」
とシェーンコップは隣の男にぼやいてみせた。
「お付き合いしてくださいなんて俺は頼んじゃいませんがね。宿舎へ戻ったらどうです?」
まったく可愛いげのない。
吐く息はしろく、吸い込んだ少し酸素濃度の薄い大気は気道をキンッと凍てつかせた。
「おまえがオーロラが見えるかもなんて言い出したのだろう?」
「へぇ、隊長どのが美しい自然風景にご興味がおありだなんて知りませんでしたがね」
嫌味ばかり上手くなりやがって、とシェーンコップは心のなかで毒づいた。
「そうさな、俺はなにかを見上げるってやつは性に合わん。それよりもベッドでブロンドを組み敷くほうが興味はあるな」
「頭の上で艦隊同士ドンパチやってるから今日あたり見られるかと思ったんですがね」
アテが外れました、とシェーンコップの言葉などまるっと受け流してリンツは肩をすくめて見せた。
防寒ジャケットの灰色迷彩と相まってリンツの姿は白く浮かび上がるようだった。
砂地の荒野に煌々とした月明かりと星のささやかな瞬きがしんと音もなく降り注ぐ。
「おまえさん、そういえば誕生日だったなぁ」
静かな夜だ。
ただ声だけが大気にとける。
リンツはなにも答えない。

人類が地球なんぞという辺境のいち惑星の地表に足をベッタリと着けて生活していた時代から現在に至るまで、日中天上から照りつける恒星を"太陽"と言い、夜、しとやかに闇に浮かぶ衛星を"月"と便宜的に呼んでいることを誰も疑問に思わない。
何百年も飽きずに戦争を繰り返して星空を血で何重にも鋪装している。世界は思うよりよほど愚かでくだらないのだ。

また気温が下がったのだろう。
裸の指先がピリリと傷んで熱くなる。
もう帰るぞとシェーンコップが歩先を基地へと向けたとき、ようやくリンツが口を開いた。



「月が……きれいですね」

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