Welcome to my blog

***Honeyholic***

ARTICLE PAGE

カナリアは歌う、喜びの歌を。【R-18】

朝晩石畳の路面は酷く冷える。
ワルター・フォン・シェーンコップはキンと冷えた風が首筋をすり抜け思わず身震いした。コートの前立てを掻き抱き歩を早める。
前任地の温暖な気候が早くも恋しかった。
馴染みの女もここではまだいない。適当なところで相手を見繕って手っ取り早く体温を分け合ってひとときの甘い夢を見るのも悪くないのかもしれない。

が、今のところは幸か不幸か一人飯だ、重めのシュバイネハクセにビールと気楽にやるのもいいかも知れない。そうだな、ヤギのチーズもあれば尚のこと。初めての街を知るには街でもっとも賑わう酒場を訪ねれば良い。

アルベルト・フォン・ラーケン陸軍少佐、それが任務の為に用意された今の彼の身分であった。
この街に駐屯する部隊に適当なものがない、そんななんとも気の抜けるような理由でこともあろうか憲兵隊に潜り込まされた。明日からはあの堅苦しい憲兵隊の制服を着用するかと思うと職命とは言えおぞましさに鳥肌がたつ。
自慢ではないが、従軍以来、憲兵をどうやり過ごすか、いかに関わらないかしか考えてこなかった男だ。名も知らぬ敵国の兵よりも余程憎たらしい存在なのだ、あいつらは。
それが一体なんの因果で。
こうなったらとっとと任務を完了させ一分一秒でも早く憲兵隊などという忌々しい組織から離脱して中央に戻ることに心血を注ぐしかあるまい。


街のシンボルの市庁舎脇を通り路地をいくつか抜ける。すると広がるのは欧州屈指の歓楽街だ。この街で探しているのは「[[rb:金糸雀 > フィンチ]]」、夜の街に情報を求めるのは明晩以降でいいだろう。きっとその名の通り小さく愛らしいのだろう直ぐに見つかるさ。


歓楽街を通り過ぎて少し住宅街のほうへ。まず街を知りたい、今夜は気取らない店が良い。一件のレストランに目星をつけてドアを潜った。

店内は然程広くはないがほどよく雑多で活気があり、なんとも食欲をそそる匂いが鼻を刺激する。
なるほどこれは"アタリ"かも知れない。
カウンターの端に腰を落ち着け黒ビールとめぼしい料理をいくつかオーダーした。
あちらこちらから酔っぱらいの豪快な笑い声やヤジがあがる。こういうところで拾う話は情報部が勿体つけて出してくるメディアよりも余程"めっけもの"が多い。
適当に相槌をうち、笑いに賛同し、飛び交う会話に聞き耳をたて耳に入る情報を脳内で整理していく。なるほどそうなのか。
しばらくして食事も半ばとなった頃合いで照明が一段落とされ金髪の男が手を引かれ小上がりの椅子に腰かけると拍手と指笛が飛んだ。
一瞬波が引くようにすうっと店内を静寂が支配し、その次の瞬間、歌声が静寂を裂いた。
決して大きくはないが、低く伸びやかで安定感のあるバリトンが空間を揺るがす。
知らぬ異国の言葉で奏でられるそれは歌詞の意味こそ理解できないが確かに心安らぐものであった。
彼の席からは歌い手の姿よく見えなかったが、美女なら話は別だが男の容姿など取るに足らない。だが、その歌声だけは確かにこの店を"アタリ"だと判断する大きな要因になるのは間違いなかった。
そのまま数曲を披露し歌い手の男がお辞儀をすればまたも割れんばかりの拍手が贈られる。

「兄さん、はじめてかい?どうだ、カナリアはイイモンだろ?」
隣の席の男がまるで自分が手塩にかけた子どもが偉業を為したかのように声をかけてきた。
「カナリア?」
あまりに突然に耳を打った言葉に動揺を隠せず疑問に疑問で答えてしまった。
あれが?どうみたって大男だぞ?声だって事によっちゃ俺より低い。
「あぁ、カナリアさ。金髪、碧眼の別嬪でイイ声で歌う」
だがいかんせん男は酒が入りすぎていた。
「ここだけの話だがね、金次第じゃベッドでもそりゃ可愛く啼いてくれるってもっぱらの噂さ」

カナリアは生物学上の分類でフィンチ科の一種に数える。よもや捜し求めるフィンチがあんな可愛げとは無縁の大男とは思いもよらなかったが得てして現実とはそのようなものだ。
こいつはツイている、シェーンコップは記憶力と情報判断力をフル稼働させ頼みもしないのにベラベラと喋る男から情報を搾り取った。
話によればその[[rb:金髪男 > カナリア]]は1年ほど前にふらりと現れそのまま居ついているらしい。身寄りもないらしく店で飼われ、ほぼ毎日ここで歌い、場合によってはアフターでイロのついたこともしているという。その他証言にばらつきはあったものの、総じて異口同音に得られた内容はそのようなものであった。ようとして彼の正体は知れないが、亡霊や都市伝説の類いではなく実体のある人間のこと、どうとでもなる話だった。
シェーンコップは神をも恐れぬ無神論者だったが今回ばかりは幸運の女神と酒の神とに感謝していた。尤も30秒後には忘却の彼方なのではあるが。

あの金髪男が"フィンチ"であるならとっとと捕まえて出すものを出させてしまえば良い。なんとも簡単な話ではないか、前祝いとばかりにスタウトを2杯飲み干しシェーンコップは席を立った。



翌日からは嫌々ながら憲兵隊の一将校として形だけの哨戒任務にあたった。
哨戒といいつつも本来的意味の任務は憲兵隊のボンクラどもにやらせておけば良い。シェーンコップは細い路地の一つ一つに至るまでの地図を実地で頭に叩き込んだ。
あの男を逃がすわけにはいかない。用意周到に堀を埋め、囲いを作り満を持して仕留めるのだ。

別段"フィンチ"が何かをしたわけではない。
ここに駐留する司令官に収賄、背任の疑惑が浮上した。この街は軍需産業で栄えた街で労働人口の実に4割がなにがしかの軍需を飯の種にしている。軍の納入品は原則として競争入札であるが、どうもそのあたりの雲行きが怪しい。そちら方面だけならば監察職の範疇だが、加えてその納入経路、ひいては補給計画、経路という軍事機密を故意に漏洩させている者がいるという。その密談のキーパーソンが"フィンチ"と言うわけだ。
昨晩仕入れた情報と照らし合わせれば大方良からぬ相談はベッドの上でか。睦事というのは密談には手頃だ。必ず人はそこでは丸腰になるし急所もさらす。殆どの場合、護衛が至近につくこともなく楽しみを共有したという共犯意識からより関係性が強固なものになるというものだ。しかもそれが人には言えぬ性癖の共犯というなら尚のこと。しかしまぁ男色の複数プレイとはゾッとしない。

だが、知りすぎた者は消されるのが世の理で、か弱き小鳥の落鳥する様には憐れみを感じるが己の関知するところではない。美女ならまだしもフィンチは男だ。そんなやつらにうっかり関わったおまえさんがいけないのさ、悪く思うなよ。シェーンコップはそう結論づけた。



それから週に1回から2回のペースを守って、だが曜日は特定させずに店を訪れた。好奇心に取り憑かれて近づきすぎれば警戒される、離れすぎれば獲物に逃げられる、何事にも適度な距離というものがあるのだ。
観察したところ"カナリア"は20:00頃店に出てきて歌い、22:00頃から夜の仕事を始めるようだった。夜の仕事と言っても毎度ではなく閉店まで椅子に腰掛け酔客と談笑する姿もあった。

そうして店を訪れる回数があわせて両の手に届く頃、事態は動いた。
常頃のようにシェーンコップがいくつかのつまみと酒を楽しみながら飛び交う会話に耳をそばだてていると、恰幅の良い半白髪の中年男が話しかけてきた。
「アンタ、カナリアが気になるかい?」
男はシェーンコップの懐辺りをチロチロ見ながら、エージェントへの取り成し料に100マルク、初見ならそっから先はカナリアの機嫌次第だと小声で告げた。
男娼から春を買うことの興味は皆無だったが対象と接触できる絶好の機会を逃すわけにはいかない。
殊更勿体つけて男に言われた紙幣を手渡すと揉み手をしながら「毎度あり」と下卑た笑いを浮かべながら頭を下げた。

店のチェックと一緒に手渡されたメモ書きに記された指定の住所で待つ。
暫くして1台の車が停車し開いた後部座席のドアからフードを目深に被った男が現れた。
酒にでも酔っているのかどうにも足元が覚束無い様子で、ヤレヤレとばかりにシェーンコップは手を差し出した。

不本意ながら肩を抱くようにして手近な安宿の一室に入りベッドの端に腰掛けさせると男があからさまに安堵したのがわかった。
目深に被っていたフードを取り去れば脱色した麦藁のような長めの淡い金髪が揺れた。改めて間近で見るとそこそこ造作の整った、だが、歴とした男の顔があった。
職業柄外見である程度人間を値踏みする目は持っているつもりだ。一夜の夢を商売道具にする人間特有のなんとも気だるげな艶を纏ってはいるものの、目の前の男からは隠しきれない知性と感覚の鋭さが窺えた。


「さて夜は短い、さっさと一晩の夢をはじめようか」
男は薄い唇の両端をすいっと上げた。
エメラルドよりなお碧い両の瞳を細めて。なるほどそれは確かに"美しい"と称して差し支えない。
すっと右手が伸ばされ、手探る様な動きをしたあとにシェーンコップの衣服に触れ引き寄せた。実情はどうあれ男はシェーンコップに一晩、金で買われたのだ。相手は"仕事"をする気なのだろう。




ベッドの上に誘われるままに足を投げ出すと男は膝立の姿勢からそのまま両手をついてにじり寄ってきた。首元に鼻頭を擦り寄せスンスンと嗅ぎまわる様はさながら捕食した獲物を検分する雌虎のようだ。
「うん、雄のイイ匂いがする。アンタ、セックス上手いだろ?」
検分の結果に満足したのか、眼を細めてペロリと自分の下唇を舐める様が憎いほど艶めかしい。女のそれとは異なる重く本能を揺さぶるような情欲。
爪先まで綺麗に整えられた親指と人差し指でスラックスの上からゆっくりとカタチをなぞられ、まだ柔いそこの輪郭を否応なしに意識させられる。
「ねぇ、ビョーキもってる?」
まるでタバコの火を乞うような気軽さで尋ねられ問いに
「無いな」
即答すれば男はクスクスと笑う。
「遊び慣れてるんだな、悪くない」
そう言って太股に跨がりシェーンコップの肩を軽く押した。思ったよりスプリングの硬いベッドはいただけなかったが自分より幾分線の細そうなこの男を払い除ける気も何故だか起こらなかった。
「なぜそう思う?」
「ウブな奴は"病気なんて持ってるわけ無いだろう!"ってキレるんだ」
そう言う奴は決まって面倒臭い、と首を竦めてみせた。
シェーンコップはおや?と思った。
男と自分は正対して会話をしている。なのに目の前の男と視線がまるで噛み合わないのだ。南国の海のように深いブルーグリーンの瞳に写り込んでいるのは確かに自分の姿なのに。男の眼窩に納まる其れは硝子細工の様で僅かにでもそこから感情を読み取ることはできなかった。
その事実はシェーンコップの好奇心をいたく擽り、男との会話を継続させるには十分な理由となった。

「なぁ、はやくセックスしようぜ。アンタのこと気に入ったから今日はタダでいいよ」
シェーンコップは漁色と言われその手のゴシップには事欠かない男ではあったが、彼はへテロセクシュアルであり、今までに同性相手にその実力を発揮したことなど皆無であったし、今夜もこの男を買ったものの、その身で甘い夢を見ることまでは思い至らなかった。

しかしながらその気がなくても刺激されれば否応もなく臨戦態勢になってしまうのは男の悲しい性で、明確な意思を持って触れられれば情けないことに直ぐに下半身は熱く重くなった。
同じものを股間にぶら下げた人間を性的欲求の対象にする癖はない。当初はなんと言われようとも己の逸物が勃たなければ目の前の色狂いの男も諦めるだろうとタカを括っていたのだが、どうやら戦況はシェーンコップ劣勢へと傾いているようだ。
そういえばここのところらしくもなく一人寝が続いたことに思い当たり苦いものが込み上げる。

薄く開いた口から覗く白蝶貝のような歯で金具を挟みジッパーを下ろされた。
解放したスラックスの狭間から半ば兆した陰茎が引き摺り出され白い指を絡めて愛しいと言わんばかりに頬擦りされた。そしてそれを喉奥まで迎え入れる様に戸惑いはない。
右手で男根を支え舌先で存分に嬲る傍ら左の手でぱらりと落ちてくる長めの髪を耳に掛けた。
成る程、噂は事実のようだ。春を鬻ぐ男だけのことはある。雄をその気にさせる手管には舌を巻いた。
「おかしな人だ、態々金を払ってまで俺を買ったのにその気がないのかい?」
己の唾液とカウパーとで口と指先を存分に汚した男が双玉を弄びながらシェーンコップをからかう。
「それとも期待外れで俺じゃあ勃たない?」
完勃ちとは言わないが既に十分な存在に育ったその尖端を指先で繰られた。
いや、そんなことはと返しながら腹に跨がった尻から腿を掌で擦れば吸い付くような肌と思ったよりもずっとしっかりとした肉の感触がした。


男はやがて頃合いとばかりに緩く脚を開き、誘うように指先で拓いてみせた。其処はぱくりと縦に口を開きテラテラと濡れそぼり愛液を滴らし、さながら熟れた女陰のようだった。



「悪い夢を見たと諦めたらいい」


眦にさっと掃いた朱、汗を纏って揺れる金糸、興奮に紅潮し薄紅に咲く雪花石膏の肌も全てただ一時の夢なのだ。
絡み付く粘膜の熱さでコンドームの装着を失念したことに気づいたが今更だ。
あぁ、できることならその美しい翠玉をこちらへ向けてはくれないか?

みずから獣の前に差し出したその身を暴き貪ぼられ、今宵、カナリアはひときわ艶やかに啼いた。



後朝の別れでもあるまいが、分けあったブランケットの中で触れあった足に気になっていたことを切り出した。多少の不躾も土産がわりだ、バチは当たらないだろう。
「随分と御大層なアンクレットだな」
筋肉はシェーンコップのものより大分薄いもののしなやかな膝下に手を這わせる。その行き着くところにはアクセサリーと言うには些か堅牢すぎる金属物が嵌まっていた。
これではまるで…不躾ついでにシェーンコップはまじまじとそのアクセサリー否、足枷を観察した。白い薔薇の彫金が周囲を飾り、その陰で小さな赤い光が瞬いている。
シェーンコップは眉を潜めた。
「俺は目が見えないから、GPSをつけているんだ。こいつのお陰で俺はこの街で暮らしていける」
金髪のフィンチは身体を起こし、そのままシェーンコップにしなだれかかる。情を交わした後だからだろうか、その重みも今は心地よく感じた。
男の指先がシェーンコップの上腕をなぞる。
愛撫するかの様に、そして逞しい筋肉の鎧の上で指先が跳ねた。
小さく3回、指先で僅かになぞり書きするような動きを3回、そしてまた小さく3回跳ねる。
シェーンコップは思わず息を飲んだ。

指先で伝えられたそれは…
「た す け て」


声に出さずに伝えたと言うことは恐らくそう言うことなのだろう。
この男はわかっているというのか、自分の足首に嵌まる枷が単なるGPSなどではないことを。恐らくGPS付きの小型爆弾だ。全くとんでもない足環を着けた小鳥が居たものだ。
出来る限りなんでもない風を装って会話を続ける。
「おまえさん、まったく見えないのか?」
「残念ながら、俺の世界は明と暗だけで」
甘えるように頬を擦り寄せて来たので軽くキスを落とした。
俺は生まれてこのかた自分のセクシャリティを疑ったことなどない。今でも豊満な胸と肉感的な尻のイイ女が好みだ。だがどうだ、まったくもって理解に苦しむことばかりだ。

名前を呼びたい、ふとそう思った。
「名前も知らずに別れるんじゃなんとも味気ない。俺はアルベルト、アルベルト・フォン・ラーケンだ。おまえの名は?」
「…カスパー」
通り名かも知れない。だが、それでも良かった。
「カスパー」
そっと呼び掛ける。
伝わるだろうか、彼の助けを求める叫びはモールス信号だった。ならばこちらからも。
人差し指の背で頬を軽くなぞってからそっと押した。軽く一度、少し長く、そして軽くもう一度、「わかった」と。
恐らく多少の時間を掛ければ物騒な足枷を外してやることはできるだろう。
問題はそこからだ。その後はどうする?
ここから抜け出す、その利害は一致している。ならばまずはフィンチを鳥籠から解放してやり目的の物はその後彼に差し出させれば良い。彼の飼い主がいつその機嫌を損ねて彼を吹き飛ばしてしまうか検討もつかないのだから。

その後もう一度身体を重ねた。
今度はシェーンコップの意思でもって。

「カスパー、またおまえとこうしても?勿論ビジネスで構わない」

彼は今日の代金は要らないと言ったが相場を聞き出し握らせた。こんなチンケなことで彼が飼い主の不興を買うことの無いように。

夜が明ければ彼のエージェントが迎えに来るという。
カスパーは自分の棲みかの番地さえ知らなかった。全盲の彼を庇護する振りをして情報を奪い、杖さえ与えず風切り羽を断翼し爆弾の足環を枷す。
彼の持つ鍵はそれほど迄に重いのだろうか。



通常、シェーンコップたちの部隊で任務を遂行する際に単独で行動することはない。
今回のように単身で潜入する場合でも兄弟(ブルーダー)と呼ばれるチームで動き、潜入したものをバックアップする。
シェーンコップにも今回、ライナーとビクトルという二人のブルーダーがいた。

宿の前でカスパーと別れ、路地を4つ越えたところで追っ手の有無を確認してコーヒースタンドに入る。
そこで二人と落ち合い、ターゲットの発見とその救出・護送の策を練る。紙コップ1杯のコーヒーを飲み干すまでのわずかな時間の作戦会議だ。
「どうだ、やれるか?」
携帯端末の画像を見せてビクトルに短く問えばJa.とだけ返ってきた。
ビクトルとワルターが救出をライナーが護送経路の確保をと自ずから役割は決まった。


それから3日後の晩、店の裏口でエージェントに前金を渡し、翌朝またここへ返却するという約定でカスパーの身柄を得る。
これで数時間は確保できるはずだ。
どうせGPSで補足されているのだからと、手近な安宿に部屋を取り、早速とばかりにビクトルが作業にかかる。慎重に、かつ迅速に。
ほどなくして物騒な足枷が外れれば逃避行の開始だ。
シェーンコップらはともかく護送される本人のカスパーが全盲というハンデを負っている。まさか本物のフィンチさながらケージに詰めて持ち運ぶというわけにもいくまい、時間がかかるのは想定の内、いざとなれば背負ってでも進むしかあるまいとの覚悟はあった。

シェーンコップはこれまでに全盲の保護対象者を護送したことなどなかったが、腕にすがらせエスコートする方法をとった。
異性なら大歓迎と言いたいところだが、残念ながらフィンチは男性だ。それも成人し、そうそう年齢も変わらぬような。たが、仕事だ。贅沢も言えまい。


道すがらに問えばやはりというか物的な証拠はなにもなく全ては彼の頭のなかだという。
これでは何があっても彼を生きたまま連れていかなければ任務完了とはいかない。人目を避けて目的地までは陸路で5時間、長い旅路になりそうだった。

GPSは申し訳ないが宿のベッドの下に置いてきた。朝になり"カナリア"が逃げたことが知れれば大騒ぎになるだろうが知ったことか。
そのころにはこちらはとっくにチェックだ。

それにしても膝の上が重い。
「大佐も随分とナメられたもんですね」
ハンドルを握るライナーがバックミラー越しに憎まれ口をたたく。
当の本人はすっかり安心しきっているのか、いつの間にかに人の膝を枕にして気持ち良さそうに寝息をたてている。
「ほんとだ。肝の据わり方が半端じゃない」
クスクス笑うのはビクトルだ。
何時からかわからないがなにも見えないなかで爆弾を括られて一人生きてきたんだ、満足に眠ることもできなかったのだろう。
まぁ、いいさ、少しの間だけでも夢をみれば。


東の空が微かに白む頃、目的地に辿り着いた。


あと1時間もすれば夜が明ける。
空気はキンっと澄み渡り頬をさす風が痛い。
手筈の場所には情報部の人間が既に待機していた。定められた手順で身分確認をして"フィンチを"引き渡す。

これで俺たちはお役御免と言うわけだ。

白皙を冷気に嬲られじっと立ち尽くす彼は何を思うのか。
多少なりとも袖擦り合わせた仲だ。別れの挨拶くらいするべきかとカスパーの前に立つ。
「ねぇ、アンタの顔を見せてくれないか?」
きっとイイ男なんだろうなとどこか遠い場所へ思いを馳せるかのように呟いた。
ブルーグリーンの瞳は相変わらず物を追うことはない。どうしたらその願いが叶えられるのか解らなかったが、彼の手を取り己の両頬に触れさせた。
「見えるか?カスパー」
大したもんじゃあない、武骨な男の顔だ、きっとガッカリしたことだろう。
生白くしかし男の骨ばった指先が輪郭をなぞり次いでおそるおそる目元、鼻筋、唇と辿っていった。
「うん、見えるよ。アンタめちゃくちゃ男前だ」
くしゃりと笑う顔は邪気がなくひどく幼く見えた。一人で生活することのできない彼は当面の間軍の保護を受け、その後は何処かの施設へ入るという。チクリと心を刺すものがあったが無闇に関わる方が彼を不幸にしてしまうだろう。
これで良いのだとシェーンコップは自分の心にピリオドを打った。

おとがいに指がかかり引き寄せられ唇が掠めた。
「さよなら、アル」
「アルベルトじゃない…俺の名はワルターだ」
きょとんとし、ついで得心したのか
アンタが軍人か警察かなのはわかっていた、血と硝煙の匂いがしたからね、と。

「アウフヴィーダゼン、ワルター」



目の見えない俺は一人じゃここを動けないから。だから、貴方から立ち去ってくれないか、そう言外にそっと肩口を押される。一歩踏み出してしまえば知らぬ他人だ。アルベルト・フォン・ラーケンなどという男は存在しない。

もう振り返ることはしなかった。
ただ一つの任務が終わったに過ぎない。
シェーンコップにはまだやるべきことがあった。
一仕事終われば年長者はブルーダーに労いを込めて酒を振る舞う。彼らはよく働いた。今回はいくらかかることやら。考えれば目眩がしそうだがあのままずるずると憲兵をやるより百倍ましだ。
そんなことを考えながら部下の待つ車へと向かった。



シェーンコップは任務明けの1週間休暇を満喫し、晴れ晴れとした顔で出勤した早々上官に呼ばれた。
今回は取り立てて大きな手柄を立てたわけではないので昇進と言うことでもあるまい。ロクでもないことなら聞きたくはない、せっかく今日は気分が良いのだから。


形ばかりは完璧な儀礼をつくして部隊長の前に立つ。
ふんぞり返って偉そうに無理難題を押し付けてくる喰えないオヤジだ。
顎で示され応接セットに目を移すとそこには軍帽をきっちりと被った若い男が座っていた。軍帽と部隊章から情報部の人間と知れた。シェーンコップにとってできることならば関わり合いになりたくない人種の一つであ
る。
上官が視線で制するものだから回れ右して撤退するわけにもいかなくなり、渋々と席に着くことにした。客とは言え、階級章を確認すれば少佐、相手は格下の様だからこちらの多少の無礼など知ったことか。
「貴官に礼を言いたいと」
上官が口火を切ると先客はすくと立ち上がり、脱帽の後敬礼した。



「はじめまして、ワルター・フォン・シェーンコップ大佐。…いや、お久しぶりと言うべきでしょうか、アルベルト・フォン・ラーケン少佐。情報部少佐、カスパー・リンツと申します」




シェーンコップは盛大に舌打ちした。
まったくこれだから情報部の人間などというものは信用ならないのだ!!

0 Comments

Leave a comment